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みやまえ人Story vol.1 ルー・大柴さん

更新日:6月12日

ルー大柴さん 

宮前区宮前平在住(東京都出身)

1954年1月14日生まれ


宮前区宮前平には、もう30年近くリブしている。新宿生まれの私が、そもそも宮前平に住むことになったきっかけは、マイシスターが宮前平に住んでいたこと。その当時は、現在のようにこんなに多くのマンションが建っていなかった。勾配がきつい富士見坂が難点だったりするものの、住めばキャピタル!都心への交通アクセスがいい。ベッドタウンとしても文句ない。マイホームは、学校も警察も消防署も区役所も図書館もすべて近くにあり、本当にコンビニエンスなまちだと思う。


私は仕事やプライベートなどで、日本の47都道府県すべてを回った。訪れたまちの中には、確かに魅力ある素敵なまちがいくつかあった。それでもやっぱり、自分の住むこのまちが最高だと思う。ちょうど都会と田舎のハーフのような、そんなまちの印象。宮前区は鷺沼やたまプラーザなどのような大きなまちにはない良さがある。カントリーが残っていて、自然があって、ザワザワしていない。都会に出掛けて、宮前区に帰ってくるとホッとする。仕事で海外に出掛けることも多いが、やはり宮前区に帰ってくるとホッとする。宮前区こそ私のカントリー、愛するまちなのである。



私は幼少時、キンダーガーデンの学芸会で、うさぎの役に選ばれた。学芸会に出て、役を演じることなど、本当にイヤでイヤでしかたなかった。学芸会当日、無事に終わり、カーテンコールで自分の名前が呼ばれ、頭を下げた。そのアズスーンアズ、たくさんの拍手にチキンスキンが立ち、ものすごい感動したことが今でも忘れられない。その時、人を喜ばせること、感動を与えることの素晴らしさを覚えた。だからこそ私は、そんな『表現者』になりたかった。たくさんの紆余曲折、マウンテンありバレーありを乗り越えて、私は夢を叶えた。自分の好きなこと、やりたいことを仕事としてやって来れたこと。本当に、ラッキーボーイだと思う。そう、夢はなかなか実現出来ないのが現実。いくら才能があっても、売れる、売れないという問題とは話が別。好きなことを仕事として生活を成り立たせていくということは、本当に大変で、ある意味、賭けである。私のライフにおいて、私の仕事というのは、みんなを笑顔にしていくこと。それこそ、私のミッションだと思っている。そうした経験値を元に、地域に還元しつつ、貢献していきたいと思っている。



基本、毎日、身体を動かすことを習慣としている。参加出来る日は毎朝、近所の公園で6:30〜ラジオ体操、6:40〜太極拳に参加している。現役をリタイアした方々に混ざって、威勢のよい掛け声とともにラジオ体操第一に始まり、続いて第二と、ゆっくり身体全体をほぐしていく。その後、本格的な太極拳のグループ(24式)に混ざって、40分ほどの太極拳の時間を楽しんでいる。教えてくれるのは中国人の女性の先生。BGMに流れる、広大なる中国を彷彿させる悠久なる調べにのせて、ゆっくりとしなやかな動作、身の動き。私には、このくらいの運動が身体にもちょうどいい。運動するのは、やっぱり朝がいい。木々の間から朝日がのぼってきて、朝の清々しい空気の中、鳥の鳴き声が聞こえてきたり、季節によっては花の香りが漂ってきたりして、本当に気持ちがいい。心身共にリラックスできて、身体の調子もいい。



ラジオ体操&太極拳に参加する前に、行なっている活動が1つ、2つある。1つは、公園のトイレ掃除。太極拳仲間の一人が、たまたま私と同じマンションの住人で、その方に声を掛けていただいたことがきっかけで始めた。現役をリタイアされたこの大先輩は、勤めていた会社で、社員が出勤する前にトイレ掃除をするというのを退職するまで続けてこられた。リタイア後は公園だけでなく、学校や病院のトイレ掃除を続けていらっしゃる。私もその大先輩からトイレ掃除を経験、トイレ掃除のイロハを教わった。そして今も、月1回のペースで仲間とともに続けている。最初は躊躇しながら取り組んでいたものの、今ではベテラン級の腕前。両手にゴムグローブ、足元はロングブーツ、これが私のトイレ掃除の定番スタイル。スポンジに洗剤を取り、便器に顔を突っ込んでゴシゴシ。小便器には目皿というパーツがあって、こちらも取り出して磨くなど、抜かりはない。一生懸命取り組んでいると、みるみるうちに便器も洗面所もベリーホワイトに変身!早朝、タクシーの運転手さんや工事現場で働く人などがトイレを利用しにやって来て、トイレ掃除をしている私に遭遇すると「何やってるの、ルーさん!」とサプライズの声!「ご苦労さま」と言ってもらえたりすると、本当に清々しく嬉しい気持ちになる。トイレ掃除はまさに、トイレを磨くだけではなく、自分をも磨いてくれる。ピュアで、イノセントで、リフレッシュな活動である。



もう1つは、フラワーベットの掃除や管理。こちらもラジオ体操&太極拳の前に行なう活動の1つ。季節に合わせてお花を植えたり、掃除をしたり、枯れ葉を集めて堆肥作りなども。そもそもこれらすべての活動、ラジオ体操&太極拳、トイレ掃除、フラワーベットの掃除や管理などを行っている宮崎第4公園は、自分のガーデンだと思っている。自分が生まれ育った新宿というまちには、こんなに広いガーデンがなかった。私の地域活動の拠点という意味において、メインの公園であるといって過言ではない。そういう意味においても、大切にしたい公園の一つという想いで活動に取り組んでいる。



また1ヶ月に1度、ワイフが用意してくれたごみ袋を片手に、宮前平〜宮崎台を往復する。出来るだけ人に気づかれないように、帽子を目深にかぶり、マスクをしたりして、道路の脇や雑草の間、塀の上などに捨てられた、タバコの吸い殻や空き缶、ペットボトルなどのごみを拾い集める。たとえば風邪や花粉症の季節にはマスク、雨や風の強かった翌日には壊れた傘など、季節やその時々の天候によって、ごみの種類もさまざま。大きな45ℓのごみ袋にどんどんたまっていく。日本の文化の低さを残念に思いながらも、自分のリブするまち、愛するマイタウンみやまえをきれいにしたい、きれいなマイタウンで暮らしたいと思うからこそ、これからも継続して続けていきたいと思っている。


私には2人の息子がいる。息子2人の子育ての時期、私は仕事が本当に忙しくて、子育てはすべてワイフオンリーでこなしてくれていた。子育てにはほとんど関わってこれなかったけれど、マイサン2人も、私同様、このまちを愛している。地元にずっと住み続けたいと考えている。特に都会でもなく、特に田舎でもない。そんな川崎市で、宮前区で、ずっとずっと暮らしていきたいと考えているようだ。その想いは、私の想いと同様である。心を開けば、みんなも心を開いてくれる。60歳も過ぎて、本当にしみじみ思う。まさに、ここ宮前区が私のふるさとなのだと。



改めてルーさんのつぶやき。「きっと私はここ宮前区で、宮前平で死んでいくんだろうなあ。死ぬまで、宮前平で住むんだろうなあ。」住めばキャピタル。単に表面的なことだけではない、宮前区に対する熱い想いが伝わってくる。ぽつりとつぶやいた、この言葉の奥深くに、このまち宮前区に対する、真にラブな気持ちが凝縮されている。

その想いがひしひしと伝わってきたルー大柴さん。これからも、そしていつまでも。一緒に、Let’sトゥギャザーしたいなぁ♪


(2016年3月取材/2016年4月25日公開)

(取材&文:笠原千恵子 カメラマン:青柳和美 写真加工:浅野真紀)

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